22歳無職、今日も元気に生きていく

新卒入社後、うつ病になり3か月で退職。お先真っ暗。職業訓練校でプログラミングを学習中。

22歳の青年が、日本一周して自殺した

昨日、学校の帰りにTwitterを開いたらADHDがトレンド入りしていた。どうやらバイクで日本一周した青年が、旅の終わりに自殺したそうだ。年齢は22歳、誕生日も私とすごく近かった。故人をブログのネタにすることをすごく迷ったが、どうしても伝えたいことがあるので書くことを決めた。彼の最後のツイートにはたくさんの人がいろいろな言葉を残している。自殺を止める内容や、自殺したことを肯定している内容、ADHDについての内容等さまざまだ。昨日事故って疲れ切っていた私(自分が悪いのだが)は電車で一連のツイートを読みながら泣いてしまった。世の中には優しい人がたくさんいるんだなとも感じた。

でも、彼は自殺した。自分に優しい言葉をかけてくれる人がこんなにいるのに。理由は彼にしかわからないけど、私なら多分「社会が優しくないから」自殺する。彼は最後のツイートにADHDの診断書を載せていた。

私もADHDだけど、最近まで自分がADHDだとは思ってなかった。気付いたきっかけは自分のパートナーに「死にたいっておもったことある?」と質問したことだ。答えは「本当に死にたいと思ったことは1度もない」だった。衝撃だった。それまでは誰でも高頻度で死にたいって思うものだと思ってたし、常になにかが頭の中でぐるぐるしてる状態が普通だと思ってた。

これを皮切りにいろんな違いが浮き彫りになった。「普通の人」と「そうじゃない私」私ってどっかおかしいんだ、生きづらいのは理由があったんだ。そしてその理由は自分では変えることのできない遺伝子レベルの問題なんだ。これから先ずっとわたしは生きづらいんだ。そう思った。

病院に行けばADHD用の薬もあるし、症状を治すことはできないけど対策はある。でも、なんというかそうじゃない。「このまま」の自分では社会では受け入れてもらえないということに絶望した。薬は副作用もそれなりにあるし、なにより性格が変わってしまうという話も多い。対策があるとはいえ、遺伝子レベルほぼ本能の問題を理性で対策していくのはかなりの努力が常に必要になる。「普通の人」はそんな努力いらないのに。普通の人に擬態する努力で常に疲労してて、それ以上のことをするエネルギーが足りない。つまり、普通の人が努力してできることがADHDはできない。というか難しい。甘えじゃない、携帯の充電と同じで、人間にも充電がある。ADHDは充電の使用量が普通の人より多いのですぐになくなる。これが生きづらい一つの原因だと思う。だって普通の人は理解してはくれないからね。「なんで当たり前のことができないの?」「この程度の努力もできないの?」そう責められる。

もっと社会が障害のある人に理解のあるものになればいいな。それは例えば「障碍者用〇〇」という形もいいけど、私は心の理解が進めばもっといいと思う。うまく言葉にできないのが悲しい。できないことに目を向けるんじゃなくて「できること」に目を向ける社会だともっといろんな人が生きやすくなると思う。多様性ってそういうことなんじゃないだろうか。だから、誰かが亡くなって優しい言葉をかけるよりも、亡くなる前にもっとできることがあるから、ひとりひとりが考えてみてほしい。そしたらそれがいつかは社会になると思う。